テキサス親父さん、とりあえずヤスクニで買ったサケで祝杯ww
件のコスタリカの事件についての映像。「Shark Water」からの抜粋でしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=UNxdyjqruOQ&feature=related
ほおー。。。Fairly Mowattが現役の頃の映像なのか。
↑これ、たまたま見たけど、我々の捕鯨やイルカ漁を見ている彼らのまなざしを、サメ漁を行う漁師へのまなざしとして、コンパクトに客観的に知ることができるという意味で、見てためになる映像だった。
彼らの目は、19世紀の末から20世紀初にかけて、アフリカで『自然保護区』をつくっていった白人植民者のそれとまったく同じだ。「殺される動物の側」に自己を仮託すれば、誰でも「殺す側の人間」を『悪』として告発する立場に立てる。『殺される側の動物」が生き生きと自然の中で活動する様子を喜び、見守る側になれば、誰でも『善』になれる。
しかし殺される動物として哀れみの対象になるのは、ごく限られた種だ。この偏った善悪の価値観だけで構成された視界には、「殺す側の人間」の生活背景などはいっさい存在しない。それは犯罪的な知的退廃だが、植民者の末裔たちは、自分たちの歴史の原罪についての思考停止を許容されたいのである。
+++
彼ら西洋人が入植していったとき、どこでもそうだが、現地の首長と交渉して、首長が喜ぶものを与える代わりに、現地の資源を持ち出す仕組みを作った。たいていの現地は王族貴族が支配し、人民は奴隷同然で、白人植民者は王族貴族に取り入って彼らを儲けさせてやるのと引き換えに、貿易システムを効率化するために、現地行政にまで食い込んでいく。しまいに現地首長の権力をしのぐ実効支配を行うようになり、そこでさまざまな軋轢が生じ、内乱が起きる(起こす)。そこで軍事的に制圧して、完全に治外法権の植民地を作り上げた。
こういうやり方でだんだん支配を拡大していったが、常に現地首長を存続させて、何かもめるときは現地首長階級同士の利害の対立という形にさせてきたのがミソだ。彼ら植民者は、必ずどちらかの味方になり、武器や物資を援助する形をとって、現地勢力を分断し、衰弱させてきたのだ。
彼ら植民者の目に映った入植地の原住民の民衆は、薄汚く愚かで、支配者の暴力に怯えて言われるままに働くか、あるいは怠惰であることで抵抗することしか知らない、人と呼ぶに値しない存在だった。
そして首長階級であろうがなんだろうが、みな等しく、その土地の資源の価値を知らない、取引の相場も知らない、『豚に真珠』の豚だった。その土地のもたらす富の正しい活用法を知っているのは彼ら西洋人だけであり、彼らが富を支配し循環させることでしか、人間は愚かさから脱することはないと思っている。
暇つぶしと金儲けのためのハンティングで野生動物を滅ぼしかけたのは白人入植者だ。それで困るのは、そこで生きている原住民なのだ。そのことを白人社会は無視し、まさに「その土地にあるカネになる資源」を探索し、リストアップすることが始まりであった博物学によって「貴重」とオーソライズすることで、特定の動植物や資源を保護することとした。そのために設けたのが「自然保護区」である。今は「生態系循環にとって必要」という観点に変わっているが、特定種偏重なのは今も変わりない。生物学者は自分たちの学問が現在も「自然保護」の名のもとに行われている支配に利用されていることに気づいているだろうか?
「保護区」から、その資源を利用して生活する原住民を追い出すのは、彼ら入植者の論理からすれば当然のことなのだ。彼ら入植者が支配を確立した領域である「自然保護区」では、そこに何万年前から住んでいようが、「世界を知らない愚かな原住民」が保護種の動植物を狩猟採集すれば、「密漁/猟」だ。「自然保護区」にすることで、原住民の生活行動を密猟として合法的に処罰できるようにしたのである。
ワトソンが属していたグリーンピースは本部がオランダである。WWFも王立地理協会もそうではなかったか。オランダはシーボルトの故郷で、シーボルトは日本から地図などの「資源探査」に役立つ情報を持ち出そうとして国外追放に遭った。徳川幕府の国際情勢認識の鋭敏さをほめようではないか。
オランダの博物学は植民地づくりのための学問であったから、そこから派生した地理学や生物学に流れる哲学に「原住民の生活・生業基盤としての自然資源」という観点が抜けているのは必然だ。WWFや地理協会などの「伝統ある」自然保護に関わる国際団体の名誉総裁などの上級理事者に欧州王室や貴族、国際金融資本など、かつての植民者の成功者が入っているのもまた必然だ。彼らは広瀬隆の『赤い楯』にもあるとおり、みんな姻族・親族である。
グリーンピースやシーシェパードの創設メンバーは、こうした流れの中で成り上がり、認められた「活動家」なのである。
彼ら欧州王室や貴族、彼らに連なる植民者の末裔である国際金融資本家は、16世紀の大航海時代以来、世界を一貫した眼差しで捉えている。一度もその歴史に断絶や混乱は混じっていない。わが国が経験した明治維新や敗戦などの文化文明の断層は、彼らにはないのだ。世界を導き、豊かにし、愚かさを正してきたのは自分たちである、という「歴史に裏付けられた」(もちろん彼らの見た歴史)自信が、ポール・ワトソンの行動を支えている。
イスラム圏とキリスト教圏の紛争を、『文明の衝突』などとでっち上げ、イスラム圏への覇権を進める向きにだまされてはいけない。本当の『文明の衝突』は、なんとわが国調査捕鯨とシーシェパードの紛争の間で起きている。
『文明の衝突』には、勝敗があってはならない。多様性を認め、棲み分けポイントを明確化する交渉が必要だ。生物の生態系に学びながら、多様性のもたらす豊かさを、維持しつづける知恵を、人間が獲得できるかどうかが、試されている。
上に書いた植民者の歴史は、じつのところ、ユダヤ教思想を極端に歪曲化して、世界のありとあらゆるものをカネで買って独占しようともくろんで来た連中のやってきた事績でしかない。人間はもっと心正しく、賢くて、『ヒューマニティー』と呼びうる共通点でつながれる。それは生き物としてのヒトの特性だ。
マネーは言葉とおなじように便利な道具で、それ自体にイデオロギーはない。マネーの使い方に投影されるイデオロギーが私たちを苦しめているだけだ。
私たちの関係性や自己認識、他者認識をゆがめているものがあるということを、知ることが、それをはねのけて、本来そなわっている共感する力を明確化する一歩だとおもいます。







by ed1958en
SSはワトソン逮捕は日本の裁判…